行きたい場所
少し前のことになりますが、鉄道好きの長男を連れて、
大宮にある鉄道博物館に行ってきました。
夏休み最後の家族サービスというやつです。
私自身はそれほど鉄道に興味があるわけではないのですが、
鉄道マニアでなくてもけっこう楽しめる場所だと思います。
とはいえ、子供連れだとどうしても子供中心になりますからね。
自分がゆっくり楽しむ、とはなかなかいかないものですが、
それはまぁ仕方がありません。
今の時代、いたるところにレールが敷かれ、
様々な鉄道が走っています。
もちろん地方ではそうでないところもあるかもしれませんが、
たいていのところには電車に乗って行くことができます。
通勤するにしても、旅をするにしても
本当に便利な世の中になりました。
で、いろんな電車を見ていて何となく考えたんです。
人生を旅に例えたりする話って聞いたことあると思うんです。
大人たちは子どもが良い旅ができるようにと、
自分たちが考え得る最良のルートでレールを敷いていきます。
例えば・・・
義務教育→高校→大学→大企業or公務員
学校→就職→結婚→住宅ローン(35年)
などなど、
途中、レールに乗るために
試験を受けなければならない場面などもありますが、
それさえクリアできれば、
あとはレールに乗っかっていくだけです。
・・・ですが、レールの先には何が待っているのか、
そこは本当に自分が行きたい場所なのか・・・
本当はみんな薄々感じているんじゃないんでしょうかね。
そのレールに乗っかっていっても
自分が行きたい場所に行けるわけじゃない。
でも、親や教師や上司を喜ばせるためなのか、
乗ろうとしなかったり乗りそこなったりすると
周りから冷たい目で見られるからなのか、
彼らの用意したレールに必死で乗ろうとします。
もしかしたら、他に選択肢が存在しないと
思い込んでしまっているのかもしれません。
そこにレールが敷いてあるからって、
そこに乗らなきゃいけないわけじゃありません。
綺麗に舗装された道があって、
みんながその道を行っているからって、
同じ道を歩かなきゃいけないわけじゃありません。
行きたい場所があるのなら、
行き方は自分で考えるしかありません。
他人の敷いたレールに乗っかれば
楽かもしれませんが、行きたい場所へは行けません。
人と同じ道を歩いていたら、
人と同じ結果が待っています。
もし、他人の敷いたレールの上をずいぶん進んでしまったとしても、
いつだって降りることが可能です。
そこにある唯一の障壁は自分の心。
この道を行けばどうなるものか
危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし
踏み出せばその一足が道となり
その一足が道となる
迷わず行けよ 行けばわかるさ
(猪木寛治自伝)